非常に刺激的なタイトルかも知れませんが、ある事実を聞いた事があります。神奈川県は鎌倉市といえば、源頼朝由来の鶴岡八幡宮などで有名な場所です。幕府が置かれて以来、関東の武将の聖地になった場所ですが、現在では観光地であり、そして高級住宅街が広がる街でもあります。
この地で暮らす人たちには文化人が多く含まれます。中には文芸評論家として名高い人物も暮らしており、時々全国紙に顔写真入りで大きな論評を発表するだけで、高額な謝礼を受け取ります。また、名前くらいなら誰でも一度は聞いた事のある人が多いので、何となくはその記事を読む人が多いわけです。
こうした人たちは世間ではほんの一握りしかおりません。そういう人たちはその収入源がよくわからないのですが、非常によい暮らしをしているのです。経済界とも違う、こういう文化人への「預金活動」を行なう銀行員は非常に苦戦を強いられるものです。
画家、文芸家といった人たちは、経済界の人たちと交わりがあるにはあるのですが、一般の銀行員にはコミュニケーションを取る仕方が「うまく」ありません。気に入った人物なら、いつまでも話していたいし、聞かせたい話はいくらでもあるのですが、そうではない銀行員にはケンもほろろといった状態で追い返します。
4大メガバンク、と呼ばれる銀行の一つが鎌倉近くに支店を構えていました。合併を繰り返していましたので、30代後半の行員も年収は600万円ほど。意外に少ないと思われた額です。
合併すれば、行員は増えます。そして支店は「減らされます」。そのためのさまざまな経費が銀行には課せられます。
鎌倉を担当させられる行員は、次々と交代を余儀なくされました。例の文化人の住宅街は、なかなか適任の行員がおりません。皆、身ぎれいで折り目正しい、銀行員の模範的な人ばかりがその住宅街を一軒一軒回りました。ですが、一度は玄関に通されましたが、それで終わりになってしまいます。
彼は新たに支店に配属され、鎌倉で預金獲得を命ぜられました。彼はいろいろな支店を回り、全く縁のない鎌倉にやってきたのですが、例の文芸評論家宅へも向かいました。前任者の話では「非常に取っ付きにくい」と聞かされていました。
彼は玄関に通され、思わず「なつかしいなあ」と漏らしました。意表を付かれた相手は、若造の行員を見つめ「なんだい?」と聞き返して来ました。行員の実家は「三味線や琴」といった和楽器を売る、あるいは修理する店をやっていたのです。
玄関には三味線のバチがおいてあっただけですが、それをみた行員が「なつかしい」と思ったのは本心からでした。評論家は「この男はめずらしい」と即座に感づいたらしく、部屋へ案内しいろいろと話を始めました。
行員は結果億単位の預金を獲得することに成功しました。その手法は、といっても切り口は本人にもわからない、というのです。彼は子供時代から経験している親の商売を、傍目からみていただけですし、それが多少は体に染み付いていたせいもあるでしょう。ですが、それが評論家にはなんともうれしかったようです。
銀行員といっても、中身は生身の人間の塊です。安定した職業のように見えて、実際は会社内での人事や「男女関係」に右往左往される人種でもあります。そういった中で、孤高に自分の世界、それも生まれついた自分の性格をそのまま生かした「話し方」「歩き方」は、非常に武器になる、のは事実のようです。
皆生まれつき親の顔にどこか似たところを持っています。性格や趣味も似て来ます。そして学生時分は人付き合いや興味、勉強が個性的であってしかるべきでしょう。よく、何かに打ち込んだことはなんですか?と就職の面接で聞かれる事があります。「スポーツです」と答えるのと「カブトムシを捕まえ、飼うことが好きで…」と具体的に話すのとは、相手の印象が変わります。